大城里佳子|天保年間『上山名産名所番付』再考 ─見立番付の性格─
山形県出身
岡陽一郎ゼミ
山形県上山市には、当地の古名産?古名産をまとめた、『上山名産名所番付』という資料がある(図1)。名産に着目すると、現在では姿を消した上山の古名産を教えてくれるほか、名産の変遷を示す資料だとわかる。そして土地の特徴を示す「名産」、その時代?その土地に生きる人々の目線を反映する「見立番付」という2つの要素を持している。これまで天保期の資料として扱われてきたが、内容から、作成自体は昭和15(1940)年に石黒氏?中島氏によって行われたと読み取れる。さらに、番付作成の経緯には2つの説(図2)があり、資料としての性格?位置づけが曖昧である。本研究では、諸調査を通じ、歴史資料としての『上山名産名所番付』を再考した。文献調査からは、番付自体の出自や、資料としての性格に迫る研究はなされていないことが分かった。さらに、各名産が天保期に生産されていた根拠がないうえ、天保期後に生産?活用された産物が確認された。また、当番付の名産54項目中31項目が、大正3(1914)年の史料『旧藩政及上山町在名所古跡』から引用?参考されていると判明した。そして、名産の一つ「長清水の瓜西瓜」の調査により、番付作成に際し、作成者の誤認があったことが確認された。聞き書き調査では4名にお話をうかがい、番付作成の経緯について、ご子孫でさえ詳しいことはわからない現状が再確認された。これらを総じて、『上山名産名所番付』は昭和15(1940)年に、大正3(1914)年の『旧藩政及上山町在名所古跡』の「天保年度の調」から31項目の名産を選出し、23項目が付け加えられ、石黒氏?中島氏により格付けされたのち、作成された番付であると結論づける(図3)。石黒氏?中島氏による名産の選出と格付け、つまり昭和期の情報?価値観が混入した「昭和の目線による天保期の上山の名産(名所)一覧」という位置づけが最適である。また、見立番付の形式をとった、番付“風”の資料として捉えるのが妥当であり、あくまで上山の古産物を知るために活用すべきである。今後は上山という郷土を理解するための資料として、その性格を正しく理解し、活用していくことが望まれる。