山形というフィールドで、まちと建築の可能性を探る/株式会社オブザボックス?卒業生 追沼翼

インタビュー 2022.02.22|

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「住む」「働く」「商う」がコンパクトにできる、新しい商店街モデル

――現在経営されている2つの会社について、事業内容を教えてください。

追沼:株式会社デイアンドとしては、カフェ「Day & Coffee」の経営をしつつ、SNSの運用や、IT 企業と連携してWEBマーケティングを提供しています。株式会社オブザボックスでは、クライアントの要望に応える企画と設計、まちをフィールドに研究?調査を行う自社事業、あとは日常的にまちに関わる事業をしています。

山形の案件は今は落ち着いている状況で、全国からの依頼に対応しています。現在手がけているのは名古屋のリモートワークオフィス。IT の会社で新しいオフィスの形を提案してほしいということだったので、社外のリソースも使ってグループをつくり進めています。他には、大正時代から続くもなか屋さんのリノベーションの企画設計と、無人販売のコーヒーショップをやりたいという相談も受けているところです。資金調達など建築設計に入る前の段階から関わり、クラウドファンディングや、プロモーションの仕方を考えたりするケースが多いですね。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん お話を伺った追沼さん
「Day & Coffee」にてお話を伺った追沼さん。

――「Day & Coffee」をはじめた経緯は?

追沼:このお店はもともと、株式会社とみひろという山形の呉服店の本社ビルだったのですが、数十年使っていなくて活用に悩んでいるというお話がありました。芸工大の卒業生でもある、佐藤あさみさん(株式会社リトルデザイン代表取締役)から企画の補助をしてほしいと声がかかり、大学院1年のときにプロジェクトに参加したという経緯があります。

私が大学に入学して、駅前通りを見たときに、夜は賑わっているものの昼はお店のシャッターが下りていてあまり人が歩いていない状況で、昼夜の人口比率がアンバランスだなという印象がありました。建築や都市の勉強をしている観点からすると、良いまちとは言い難い状態です。この商店街はもともと、2、3階に家主が住んで、1階を店舗として貸し出すというモデルの商店街だったのですが、今はほとんど住んでいる人がいない状況でした。

そこで、みんなでこのプロジェクトを考えていくときに、この建物はそもそも商業に依存して商店街で商いをする前提でつくられたけれど、これからのモデルとして「住む」「働く」「商う」ということをコンパクトにやっていくことができる建物をつくってみよう、ということになりました。

1階には朝からオープンしていて飲食ができる「Day & Coffee」、その奥に山形への移住者支援や情報発信をしている「real local 山形」のスペース、上の階は歯科技工士さんのオフィスと住居になっています。小さな建物ですが、そこから何かできないかと考えるきっかけになったプロジェクトでした。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん お話を伺った追沼さん
追沼さん自ら「Day & Coffee」の店先に立つことも

――ただのカフェ事業ではなく、まちを俯瞰した上でのプロジェクトだったんですね。

――「Day & Coffee」を拠点に、まちにアプローチしていることなどはありますか?

追沼:山形市と連携して店頭にある街灯にカウンターを付け、外で飲食できるようにする企画も進行中です。山形市は国土交通省が進めるウォーカブル事業に参加していて、「すずらん通りを歩いて楽しいまちにしよう」という動きをつくっているのでそこに賛同しています。昨年の夏には車両通行止めにして、通りに椅子とテーブルを置き、通りをテラス化する社会実験を商店街組合員として参加しました。

外からかき回す感じになるのはよくないと思っているので、商店街組合の理事会にも参加して、皆さんの議論を議事録としてまとめるなど、細かなこともやっています。議事録をとるというのは福井県でまちづくりに携わっている方がやっていたことで、議事録があることで自分たちの考えを再認識するようになると話されていました。それまでなんとなく、デザインをしていけば都市の課題は解決するものだと思っていましたが、事務的なことも大事なのだということをここ2年ほどは実感しています。

シネマ通りと違い、駅前通りは200店舗以上あるので合意形成には時間がかかりそうですが、自主事業として目に見える形でやってみせることで、成果が生まれてくればいいなと思っています。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん CREATIVE CITY MARKET
2019年には山形市本町の国登録文化財「山形まなび館(旧山形市立第一小学校)」を活用し、「CREATIVE CITY MARKET」を開催。
株式会社オブザボックス 追沼翼さん CREATIVE CITY MARKET
「生活の中のクリエーティブを発見していく」がコンセプト。山形の代表的な祭りである花笠まつりにあわせて多くの人が足を運んだ。

――そういった働き方、事業設計から得られるメリットはなんでしょう?

追沼:オブザボックスでは、建物を建てることを目的とせず、課題をみつけ、文化を育むデザインチームを目指しています。クライアントワークと自社事業が循環し、建築や都市の可能性を追求していくのが理想。設計という面で実際にカフェを経営して感じるのは、客席の向き、回転数、原価率など具体的な数字を想定してクライアントに提案ができるようになったことですね。店舗での経験をクライアントに反映できるのはよかったです。

自分のスタンスとして、今後もクライアントワークと研究を含めた自社事業を続けていきたいですね。請け負った仕事だけじゃなく、自分たちで見つけた課題に積極的に働きかけながら、まちに関わっていくのが自分らしいかなと思っています。

多くの気づきと学びの機会、励ましをくれた恩師の存在

――建築?環境デザイン学科での学びはどのように役立っていますか?

追沼:僕はもともと、特別に建築をやりたくて入学したわけではないんです。「まちづくり」という言葉がちょっとダサいな、と思った時期もあって。でも芸工大で学んでいると、使う言葉やデザインの力で印象が変わっていくような価値観の転換がありました。

同級生たちと今よく話すのは、学部では当たり前に考えていた環境エネルギーやまちを俯瞰して見る視点は、他大学の人はあまり意識していなかったということです。例えば就活で「東北と東京の距離を縮めるにはどうしたらいいか」というディスカッションがあったときに、多くの人が「新幹線を走らせる」みたいな物理の話をしていました。僕は、距離をどう捉えるか物理よりも心理的なことを考えていたので、みんなが同じような発想をすることが意外でした。根本的で抽象的なことをとらえる考え方や、視野の広さが芸工大で培われていたのだと思います。コンセプトを立てるにしろ、ビジョンをつくるにしろ、そういった部分は今に生かされていますね。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん お話を伺った追沼さん

――最初はあまり興味がなかった建築?環境デザインに熱意を持つようになったきっかけはなんだったのでしょう。

追沼:1年から4年まである設計演習の授業でしょうか。2年の最初に「茶室をつくる」という課題があり、そのときにちょっと褒められたことがあったんです。みんなはだいたい平屋のものを作っていたのですが、概念的に茶室を見た方がいいのかなと思い、茶室に向かう露地を建物の中に表現した2階建ての茶室をつくりました。亭主と客人という関係性も、僕らの世代からすると対等じゃない感じがあったので、2階の茶室を三角形にして、迎える側と迎えられる2人が向かい合い上下関係なくお茶を楽しめるようにしました。タイトルは『三つ巴』。設計そのものというよりネーミングとコンセプトの立て方で馬場正尊教授に褒めていただきました。

設計課題は形で評価されると思っていたので、そういう形のないものでも評価してもらえるんだ、というのは大きな気づきでした。先生たちとの出会いによって、興味関心の方向が変わり、現在があります。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん 学生時代の作品「三つ巴」
学生時代の作品『三つ巴』。この課題の制作で、追沼さんの建築への考え方が大きく変わった。

――「形のないデザイン」は現在の仕事にもつながっているようです。先生の存在は大きいですね。

追沼:はい。その後、建築やエリアリノベーションを学んでいく中で、自分たちの地域だけでコミュニケーションを取っていても勉強できることが少ないなと感じていたとき、外部で活躍している方につなげてくれたのも担当教員の馬場教授でした。

3年になって「郁文堂TUZURU」と「山形ヤタイ」、4年で「シネマ通りマルシェ」と全国で「山形ヤタイ」のワークショップをやり始め、冬に馬場教授の事務所でやっていた「LIVE+RALLY PARK.」で仙台市勾当台公園内での社会実験に関わりました。会社を設立したのはその次の年です。かなり濃密に活動をしていましたが、将来を考えると会社を続けていきたい気持ちも就職をしたい気持ちもあり悩みました。

ご自身も経営者である馬場教授に「会社経営のことは初めてで分からないし、もっとすごい人たちがいる中で自分が何を強みにしていいかも分からない」と相談すると、先生は「50代近くになって、やっと初めて自分の得意なものが見つけられたのに、20代で見つけられてたまるか!」みたいに、ちょっとふざけながらいろいろな言葉をかけてくれました。そこから会社経営に前向きに取り組めるようになった気がします。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん LIVE+RALLY PARK.
「LIVE+RALLY PARK.」は、東北の魅力発信拠点として仙台市勾当台公園内に1年間の社会実験のためつくられた仮設の建築物。
株式会社オブザボックス 追沼翼さん LIVE+RALLY PARK.
カフェのほか、東北に関する書籍や工芸品の販売も行われた。

――山形という場所についてはいかがですか?

追沼:僕の地元である仙台市をフィールドとした場合、100万分の1の人間としての動きになりますが、山形市では、24万分の1の人間としての動きになります。まちを変えようと動いたときの実感値が高く、行政との距離感も相当近いです。学生の頃から山形市に「こういうことをやりたい」と、プレゼンテーションに行くこともできたのでいいスケール感のまちだと思います。

大学の中で模型を作って夢を語るのもとても大事なことですが、その次に外の現実を知ることがやはり大事。先生との対話も、ただ大学で習っていることに質問するより、外で実践して得た気づきをぶつけた方が、実質的でおもしろい学びが得られます。山形で学ぶなら、大学の外にも積極的に出ることをおすすめしたいです。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん お話を伺った追沼さん

――それでは最後に、高校生や受験生へメッセージをお願いします

追沼:自分に向いている分野、好きな分野をわりと早い段階で固めてしまう人が多いですが、知らないところに飛び込んでみると、自分の意外な能力、新しい魅力を発見するいい機会になると思います。芸工大では、高校で学んできたこととは全く違う言葉が出てくる学科が多く刺激的なので、自分の興味がない分野でも何か一つを志望学科の選択肢に追加で入れてみてもいいのではないでしょうか。

僕は高校のとき勉強ばかりするコースにいたので、一般的な教養ではない建築、環境デザインの勉強が楽しかったです。勉強好きな人ほど、こっち側にきてみるとおもしろいんじゃないかなと思います。

株式会社オブザボックス 追沼翼さん お話を伺った追沼さん

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枠組みにとらわれない発想で、柔軟につくってきた、さまざまなものごとが追沼さんの実績になっています。考え方のプロセスに独自性があり、多くの事例が公益性に結びついている点は、5歳までアメリカで育ったという環境もさることながら、芸工大での学びが大きく作用しているようです。「建物」にこだわらず、まちの課題を解決し文化を育みながら、建築やまちの可能性を追求していく追沼さんのデザインに、今後も注目が集まりそうです。

(撮影:根岸功、取材:上林晃子、入試広報課?土屋)


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東北芸術工科大学 広報担当
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